HEAVEN 03


「もう!聞いていますか、スザク」
「ユーフェミア様?」
「やっぱり、聞いていなかったのですね…」
「申し訳ありません!」
「いいのです、別に。お詫びに今日は付き合ってくださいね」


『今日は』ではなく『今日も』であろう、と彼女に意見出来る者などこの場には誰もいなかった。
無邪気な笑みを浮かべてスザクの手を引く彼女は、ユーフェミア・リ・ブリタニア。
かのブリタニア帝国の中でも上位の貴族を母に持つ彼女は、彼女の能力よりも過剰な皇位継承順の位置にあった。


騎士となったものの、ユーフェミアの副総督としての仕事は多くない。
主に式典への出席と挨拶、それも軍事色の弱いものばかりだ。
黒の騎士団が狙う場としては弱い影響力の物で、最近ではランスロットに乗る機会も減ってきていた。
おかげで技術部上司はぼやいているくらいだ。


嬉しそうに笑顔を見せる彼女を視線では追いながら、数日前からはっきりしない記憶の痕跡を追ってしまう。
緊張感の無い生活の中とはいえ、余計な事に神経を回わすべきではないと分かっているが、しっくりとしない違和感がぐるぐると脳内を回っているのだ。
特に、アッシュフォード学園へ久しぶりに登校した日から。
それまでは気にならなかった記憶の欠落が、はっきりとした形を持って証明されたからだろうか。


『ルルーシュ・ランペルージ』という存在。


話によると、どうも友人だったらしい彼の事は、一切記憶に無い。
妹であるナナリーの事は覚えている。
ただ、彼の存在だけがそこにない。
そもそも彼といつ、どこで知り合ったのか、記憶を辿ってみれば幼い頃の記憶の欠落も自覚出来た。


ナナリーという存在が、幼い日の記憶には残っている。
あの日、彼女は誰に背負われてあの長い階段を上ってきたのか。
あの暗い土蔵の中、誰に支えられて生活をしていたのか。
あの生活の中、誰が彼女の車椅子を押していたのか。
そこだけが暗く影になって、姿がない。
気持ちが悪いほどに、辻褄が合わない記憶。


『あ、そうか。…えっと、ルルーシュ?』


その言葉に応える様に向けられたのは確かに笑顔だった。
整った顔立ちの印象のままに、計算されたかのような完璧な笑み。
何の違和感もなく、するりと入ってくるはずのそれは酷くスザクには無機質に思えた。
彼が半分も減っていない弁当箱を閉めるのにも気付いていたが、それに対して自分が口を出していいものなのか、判断も出来ない。


「それでお姉様ったら、」


ユーフェミアのお喋りは続いているらしい。
皇族に対する態度としては明らかに間違っているスザクの姿勢にも、気付く事はない。


何故だろう。
もっと誰よりも皇族に、王位に相応しい人物を知っている気がする。
それが彼女で無い事は明白で、でもスザクのよく知る皇族と言えば自分の仕える彼女しか知らないはずだ。


もっと冷静で、穏やかで、でも眼差しと意思は誰よりも強くて、何度言っても自分というものを軽んじる、誰よりも大切な…


『スザク、俺は…』


「スザクってば!」


思考を中断させられるその声に、表には出さないものの苛立ちを覚える。
こんな不快に響く声ではなく、静かで染み渡るような、そんな声。
覚えがないその記憶に、軽い頭痛が起こってくらりと視界が揺れた。
軍人として鍛えられた彼がそれで倒れるような失態は見せないが、意識を揺らす微かな違和感は徐々に警告音を強く発して、スザクの意識を侵食していく。


―――キミは、誰だ?


その問い掛けが音になる事はなく、スザクの中で消えた。


2007.09.30