絶対の信頼と。


部屋に運び込まれた食事には手をつけず、ルルーシュはいつものようにソファへ腰掛けたままだった。
正確には言えば『ルルーシュが』ではない。
この場所ではその名は封じている。
この場に存在る時の彼は、黒の騎士団の指揮官ゼロ。


「あれ?先に食べててよかったのに」


手にしたトレーをテーブルへと置くと、ルルーシュが立ち上がる。
食堂で食事を取る事など出来るはずもないルルーシュと、唯一席を並べられるのがスザクだった。
自室内へ運び込まれるルルーシュの食事に合わせてスザクが訪れる事は、組織の中でも知られた話だ。
もちろん、新参者であるスザクに対しての陰口もないわけではない。
ただ、スザクはそれを補えるだけの功績を上げ続けている。
それに加えてゼロのスザクへの信頼は、他の者が踏み込めない雰囲気を放っていて、直接文句を口を出せる者など皆無だ。


「しかし相変わらず…」
「何だ?」
「いや、豪華だなと思って」


並べられた食事は、下士官クラスの扱いを受けているスザクとも比べ物にならない。
もっともスザクはルルーシュの自室へ運べるようにと食事内容を弄ってはいるが、それにしても皿の数が違いすぎる。


「そうか? それよりスザク」
「何?」
「それ、くれ」


自分の前に広げられた物よりも、スザクの手にある小盆が気になったらしい。
ルルーシュらしいといえばルルーシュらしいけど、とスザクは笑顔でそれを手渡す。


「君好きだったもんね。はい」
「代わりにこれをやる」
「うん、ありがとう」


こうして他愛無い会話をしながらする食事が、二人にとっては何よりも幸せで、貴重な時間だった。
激化する情勢の中では、なかなか二人で会話をすることも難しい。
モニター越し、仮面越しでない時間は、ほとんどないと言っても過言ではない。
久々の穏やかな時間が、自然と笑顔を誘う。


「次の予定は決めてるの?ゼロ」
「後はトウキョウ租界の…」
「ゼロ?」


言葉を詰まらせたルルーシュの姿に、スザクが箸を置く。
たとえ二人でいる時でも、ルルーシュの名を呼ばないと決めたのはスザクだった。
構わないと言ったルルーシュに逆らっての行動だったが、今ではルルーシュも認めている。
戦後の事を考えて、ルルーシュの正体を明かさずに闘いを終える事をスザクは誰よりも願っていた。
二人穏やかに過ごす為には、ゼロという功績は邪魔になる。
その事をスザクが口にしなくとも、ルルーシュは気付いていたのだろう。
それでも時々嫌そうな顔をするルルーシュを、スザクは知っている。
俯いてしまったルルーシュに、もしかして機嫌を損ねたかも…とスザクはひっそりと名を呼ぶ事にした。
前に、どうしても呼んでほしいという視線を送るルルーシュに、耳元で囁いた事がある。
その後の行動に事後徹底的に叱られたのだが、そんな事はスザクにとって何でもない事だ。


「ル…」


肩に手を触れようとした瞬間、ガタリと崩れるようにスザクの方へと倒れこんだルルーシュの姿に血の気が引いた。
真っ青な顔に、浅い息。
吐血はないが、明らかに―――


「ルルーシュっ!!!」


毒だ、と本能的に悟る。
盛られた毒の種類は判らない。
吐かせていいものか、その判断もスザクにはつくはずがない。
かと言って人を呼ぶわけにもいかない。
解毒をするという事は仮面を外す事が不可欠で、それは素顔を晒すという事だ。
その選択肢をスザクが判断する事は出来ない。


しかし迷っている時間はもちろんない。
一か八かで、ルルーシュにぬるま湯を飲ませ、吐かせる。
繰り返し続ける中でも、ルルーシュの意識ははっきりしてこない。
スザクの呼びかけに返答はないが、緩やかに袖が握られているのがわかる。
その感覚を信じる事しかスザクには出来なかった。










「…では、そのように」
「ゼロの判断もなく、ですか?」
「僕はゼロの次席権限を与えられているはずですが。それともそのゼロの判断に不満がありますか」
「…判りました」










薄っすらと聞こえる声に、ルルーシュは意識を浮上させた。
視界に入ってきたのは見慣れた自室の天井。
完全防音の部屋で、外の声が聞こえるはずがないのに…と視線を彷徨わせると扉と部屋とを遮られたカーテンがあった。
元々なかったはずのその存在が不思議だったが、おそらくスザクが取り付けたのだろうと推測する。
仮面を外した状態のルルーシュを寝かせた部屋を開閉するには、確かに必要だ。


「…ざ…く?」
「ルルーシュ!」


微かな声を拾って、スザクが扉が閉まると同時にルルーシュへと駆け戻る。


「君が毒に耐性があって助かったよ」
「一応、皇族だからな。一通りの毒にはある程度は」


咄嗟の処置が間違っていなかった事も幸いしたが、元々ルルーシュの体内にある程度の毒に対する耐性があった事が助けとなった。
おかげで拒否反応は起こしたものの、一気に死へ導かれる事は免れた。


「それより…」
「ん?」
「お前が食べなくて良かった」


自分が死にかけたというのに、ルルーシュはそうほっとしたような表情を浮かべる。
スザクが言わなくとも、ルルーシュには分かっていたらしい。


「気付いてたの?」
「毒が盛られたのは、お前から貰ったやつだろう」
「…うん」


ルルーシュの言う通り、毒が検知されたのはスザクへと出された食事だった。
元々スザクに向けた毒だ。
それによってゼロが倒れた事を聞かされた下手人は、拷問するでもなく毒の種類を吐いた。
経緯がどうであれ、ルルーシュの命を脅かしたその行動をスザクが許すはずも無く、拘束の上致死量には満たない程度に同種類の毒を与えている。
簡単に殺すつもりなどない。


「お前だったら助からなかったかもしれない」
「ルルーシュだって危なかったんだからね」


確かに、スザクがそのままそれを口にしていれば命がなかった確率の方が高い。
皇族としての地位を落とされても、自身と妹の身を守る為に自主的に毒への耐性をつけたルルーシュとは違い、スザクは幼い頃からそういったものとは無縁の生活をしてきた。
日本の総理大臣の息子とは言っても、毒の耐性をつけるような環境には無い。
もっとも、スザクの感覚からすれば、そのような事をしなければならないブリタニア皇族の方が間違っていると思うのだが。


「結果的に助かってるから問題ない」
「僕は心配で死にそうだったよ。本当に…助かって、よかった…」
「……泣くな、馬鹿」
「嬉し泣きだから許してよ」


涙を乗せた笑顔を浮かべて、スザクはルルーシュの口唇に軽く触れた―――





2007.04.09