境界線


「何、だって…?」
「学園内では僕に関わらない方がいい。ルルーシュの、評判まで落とす事はないよ」


ルルーシュには告げられた言葉が理解できなかった。
いや、理解はしている。
ただそれを認めたくないだけだ。
元イレヴンと生粋のブリタニア人。
ましてやクロヴィス殺害を報じられたスザクと、生徒会役員であるルルーシュは、良くも悪くも目立つ存在だ。
気付いていた、分かっていた。
スザクが気にしている感はあった事に。


「…お前は、俺をそんな風に見ていたんだな」
「ルルーシュ?」


気にしてはいたけれど、それでもスザクからは言われたくなかった一言だった。
自分がスザクに他の生徒と同じように見られていると、言われているような感覚。
思い切り握りこんだ拳は震えを止められなかった。
怒りより悲しみ、腹立たしさより寂しさが痛い。


「…わかった。それをお前が望むなら」
「ルルーシュ」
「じゃあまた明日。…クルルギ」


背を向けて告げた言葉は、発したルルーシュの胸をも締め付けていた。


「ルール、どうしたの?酷い顔」


登校してくるなり挨拶もそのままに、シャーリーはルルーシュの顔を覗き込むようにして屈む。
最近顔色が悪いことに彼女は気付いていたが、今日は特に酷い。
今にも倒れるのではないかと思うような白は、さすがに無視できなかった。


「昨日遅くまで本を読んでたのがたたったかな」
「もー駄目だよ、ちゃんと睡眠は取らないと!身体に悪いんだから」
「分かってるよ」


言いながら立ち上がったルルーシュは、ふらつきそうになる足を机に体重を預ける事で何とか堪えた。
そのままカタリと椅子が鳴って、立ち上がる。


「ちょっと、どこ行くの?授業始まっちゃうよ?」
「保健室。寝てくる」
「…一人で大丈夫?」
「平気だって。寝不足なだけなんだから」


心配そうなシャーリーを押し止めて教室を後にする。
その足は保健室へと向かわず、校舎裏の木陰へと身を横たえた。
寝不足な事には違いないが、寝ていないのと眠れないのとでは雲泥の差がある。
目を閉じても明かりを落としても、渦巻く感情は悲しみばかりで眠りへと誘ってはくれない。


『僕に関わらない方がいい』


そんな事は分かっている。
スザクの立場を考えれば、学園内の大多数の生徒のように関わらない方が波風を立てずに学園生活を送れるだろう。
しかし、それを選ばなかったのはルルーシュだ。
ルルーシュが選んで決めた事を、あっさりとそう言ったスザクの姿は、目に焼きついて消えない。


それでも―――スザクがそれを望むなら。
自分の苦しみなんて大した事はない。


耐える力も必要だ。
しかし一度手に入れた温もりを手放す方法なんて知らなかった。
確かに今までもたくさんのものを失ってきたが、それは全て奪われた物ばかりだ。
自ら手放すなんて事を知るはずもない。
もちろん諦めるという選択肢は知っている。
ただ、その葛藤の結果が睡眠不足だ。


「…ここまで情けないとはな」


諦めて目を閉じる。
浮かぶのはあのときのスザクの姿でも、夢でなら他のスザクの表情を見ることが出来るかもしれない。
そう何度も願って、その度裏切られたけれど。


「ルルーシュっ!!」


沈みかけた意識が、唐突に浮上した。
飛び込んできたのはくせのある明るい茶色の髪と泣きそうなスザクの顔。


「ス、ザク?」


無意識に紡いだ言葉は声にならなかった。
気がつけば抱きしめられていて、ルルーシュの声にならなかった呼び掛けはスザクの胸元へと吸い込まれる。
状況が飲み込めないルルーシュは、スザクに抱き締められたまま身動きが取れない。
頭上から洩れる声は確実に涙を込めていて、強くかき抱かれた背は痛いほどだ。


「よかった…!ルルーシュが倒れてるから、何かあったのかと…思っ…」
「スザク……何ともない、大丈夫だ」


安心させるようにスザクの背に手を回して、一定のリズムで叩く。
昔スザクがルルーシュにしてくれたように、ゆっくりと繰り返す。
ルルーシュの身体に回る手が緩んだのを感じて、背を叩く手を止めると、代わりにスザクの身体を抱き締め返した。



「本当は離れたくなんてない、離したくない。でも僕といると確実にルルーシュは立場を悪くしていくんだ。分かってる、分かってるけど本当は嫌だ。もうあの時みたいになりたくない、離れたくない、他の誰にもルルーシュを渡したくなんてないのにっ!!」
「何でそれを早く言わないんだ」


はっとしたように離れようとしたスザクに、今度はルルーシュがスザクを離さず、強く背に回した手に力を籠める。
その力に、スザクは抗う事無くされるがままの状態で、ルルーシュの表情を窺おうとするが、あまりに近すぎる距離はそれを許さない。



「俺は離れたいなんて言っていない」
「でも…」
「スザクと一緒にいたい。おれも、もうあの時のような思いはごめんだ」


別れることしかできなかった7年前の夏。
世界に対して自分達はあまりに無力で、世界の大きさを知ったあの頃。
日本人としての立場とブリタニア人としての立場は、敗戦国民と勝利国民という絶対的な差を生み出し、その差は埋める事が出来ない物となった。
そして、スザクは少しでもルルーシュに近づく為に、日本人としての自分を捨てた。
だからこそ選ぶ道はひとつじゃなく選択肢が二人には与えられていたはずなのに、選ぶことを放棄して一人逃げ出したのはスザクの方だ。


「今度こそ、お前の側にいる事を許してくれないか?」
「…ルルーシュ」


答える代わりに返した温もりは、あの時と同じで、でも少しだけ違う。
あの頃より逞しくなったスザクの力は、ルルーシュの予想よりもずっと強かった。


「…よか、った……」


その温かさに安心したようにルルーシュが小さく呟きをもらすと、体力と精神力の限界を迎えてくたりとスザクの身体に倒れこんだ。
規則正しく聞こえる呼吸から眠りに落ちた事を確認したスザクは、そっとその身体を抱きかかえ、慣れたクラブハウスへと向かう。
その寝顔は穏やかで、それを見つめる瞳は優しさを帯びた笑みを浮かべていた。





2006.11.08